さて、エヴァさまとは誰か?何か?と考えると、現在麻帆良学園都市で10回生ぐらいやってる齢数百年を越える吸血鬼の真祖でドールマスターな金髪幼女のS級魔法使いですね。昔600万ドルの賞金首だったこともあり、犯罪も厭わない悪い魔法使いでもあったようです。今でも自称してますけど。ちなみに600万ドルを現在のレート(1ドル=131.6円)で円換算をしてみますと、723,763,570という7億円級の賞金首です。かけられた当時のレートはよくわからないしなんとも言えませんが、まぁ7億円に相当する悪事を働いたってことなのでしょう。一体何したのエヴァさま。

まぁそれはともかく僕が考える上で一番注目したいのは吸血鬼という点においてです。


  • なぜエヴァさまはまだ生きているのか?

しょっぱなからえらい問いですが、まぁいってみます。
エヴァさまは吸血鬼です。では、吸血鬼とはなんでしょうか?おおまかなところははてなによるヴァンパイアの項を読んで頂きたいのですが、まぁ大雑把に言えば、人間の血を吸って生きる不老不死の怪物で、吸血行為をすることにより人間を吸血鬼かグールかにしちゃう化け物です。人間を遥かに超える能力を備え、その代償として数々の弱点をも備えることになってしまいます。にんにくやら十字架とか聖水とか。最たるものは日光で、これに当たれば一発消滅というなんとも反則な弱点です。しかしエヴァさまはなんなく昼に出歩いてるというさらなる反則っぷり。なんてこったい/(^o^)\。まぁネギまの世界では吸血鬼を一発で殲滅できる威力を持つ魔法が人間も使えるので、ある意味対等といえるかもしれません。

して、一番に注目したいのは不老不死。
エヴァさまは老化しません。よって永遠のようじょでもあるわけでいやぁ夢が広がるなぁとかそういうのはおいといて、老化しないということは自然死、つまり生物として設定してある活動限界が存在しないというわけです。
人はいつか死ぬ、だから精一杯生きるんだ、なんて言葉もあります。限りある一生をどう生きるかによって、いかに気持ちよく大往生できるか、なんて意味だと僕は捉えてますが。人生という道には否応なく寿命というゴールが決められてるわけです。泣こうが喚こうが欝になろうがゴールは容赦なく近づいてきます。
しかし、エヴァさまの場合はそのゴールがありません。存在するべきはずのゴールは吸血鬼化という反則技によってとっぱわられてしまっているのです。限りある一生が、限りない一生になってしまったというわけです。
では、そんな限りない一生はどう過ごせばいいのでしょうか?単純に考えれば遊びまくればいいじゃないか、とも思ったりもします。まさにその通りでもありますが、だいたいこの世の中にある遊びっていうのは10年もやれば飽きるようなものが大半であると思われます。ルールによって縛られ、そのルール内でできる行動というのはそう多くありません。でも囲碁とか将棋は盤面に宇宙があるって言われてますから、エヴァさまが囲碁部なのはだからなのかしらん?
まそれはともかく、エヴァさまにはゴールが設定されていません。とは言ってもゴールがないわけではありません。吸血鬼といえでも退治されたりすることもあるでしょう。あるいは、病気が有効であるならば病死するという可能性もありますが、ネギまにおいて吸血鬼が罹患する病気があるのかどうなのか正直わからないので、まぁないとしましょう。
すると、エヴァさまがゴールするためには、他殺、もしくは自殺の二通りの方法しかなくなります。
しかしエヴァさまといえばめっちゃ強い吸血鬼。生半な相手では殺しきれないでしょう。まぁナギが本気出して殺しにきたと仮定したら可能でしょうか?
というわけで他殺される可能性がかなり低いとすると、残るのは自殺です。
つまり、エヴァさまのゴールは、自分で設定しなければそうそう訪れないということです。
では、なぜまだゴールを迎えてないのでしょうか?
単純に死にたくないっていうのがあるかもしれませんが、じゃあ死にたくないのはなぜなんだと言われるとめちゃくちゃ難しい問題っぽいのでここでおいそれと書くわけにはまいりません。
なんかまとまってない気がまんまんですが強引に結論を言っちゃいますと、”人間”が生きる上で必要なもの、それは生きがいです。
生きがいと一言では言えますが、では生きがいとは何なのかと考えると、”生きることに飽きないための目標”もっと深く言えば”この世に存在することに納得できる理由”でしょうか。例えばネギでいうと、マギステル・マギになることですね。ただこれは夢であり、マギステル・マギになったあとに人々を助けることが目標なのか単純になることが目標なのかちょっとわかりませんが。人々を助けることが生きがいであれば、永遠に生きるということにも大丈夫かもわかりませんが、ただなるだけだったら、なった後が厳しそうですね。
まそれはともかく、この生きがいというやつは寿命が百年程度であれば、それなりの、例えば結婚して子供産んで老後を楽しむほどのものでも問題はないでしょう。ただ、エヴァさまの場合は永遠です。永遠に生きるに足るだけの生きがいをエヴァさまは持っているのか?ということです。
僕が師匠とあおぐ古橋秀之師匠の作品のケイオスヘキサ三部作において、ビリー・龍(ロンと読もう)という吸血鬼が出てきます。正確に言えばこのビリー・龍という名前のものは仮初でしかありません。この世界における吸血鬼は魂が存在せず、故に魂に刻印されるべき名前も存在しない、ということなのです。ちなみに吸血鬼になった瞬間に魂は消滅し、強力な呪いが人体の諸々の機能を代行、さらに超物理的な超能力を可能にし、脳の記憶によって人格を模し活動する、という設定であります。
彼は吸血鬼としてはロング・ファングと呼ばれ、ある時は吸血鬼殲滅部隊隊長アーヴィング・ナイトウォーカーと呼ばれ、またある時は最下層市街を持ち場にする探偵ビリー・龍とも呼ばれます。その時々の名前に応じ、彼は顔を変え、立場を変え、人間の都市の中にまぎれて生活します。つまり、仮面をかぶることによって人間を演じ、生きがいを得よう、というわけです。
このように吸血鬼は寿命ある人間を演じることによって生きがいを得る、ってのもできるんですが、エヴァさまはなんかずーっとエヴァさまですね。
ならば作中からエヴァさまの生きがいを考えてみることにしましょう・・・とも思いましたが、正直空白期間多すぎてよくわかんねぇ。
それでも作中でわかってるエヴァさまの最近としては、ナギを追って、そしてまたネギを弟子にして楽しんでもいるみたいですね。そしてナギを追う理由としてはやっぱり好きだからの五文字で終わりそうです。そ、そうか!吸血鬼は恋をすればいいんだ!
と考えて終わりにすればいいのですが、恋ってのは永遠に持続できるシステムなのかどうなのかよくわかりませんしビリー・龍も恋愛関係構築しちゃってたりするわけですが、まぁとりあえずエヴァさまがまだ生きてる理由(最近)はナギが好きだからで終わります。つーかいいのかこの終わりで。

  • エヴァさまがドールマスターな理由

この理由はアニメでも言ってた通り、永遠を生きるエヴァさまにとって常に傍らにいてくれるものとして人形を選んだ、ってなわけでもあると思います。あと単純に人形好きとか。つまりはけっこうエヴァさまも寂しがりやってことでしょうか。寂しがりやなエヴァさま・・・ももも萌え(ry
まぁこう考えれば、ナギに恋をするというのも人恋しさがある故に、というわけでもあるかもしれません。
それと、この点を逆に考えると、”吸血鬼はある意味、人形である”とも言えるわけです。ビリー・龍が魂を持たないというのもあるいはこういう点から来てるのかもしれませんね。あ、最後ネギま関係ねぇや。だが私はあやま(ry

吸血鬼というのは化け物です。しかし、その姿は人間そのものであり、また、元が人間である場合がけっこうな割合を占め、またその思考や行動も人間と変わりません。限りなく人間に近く、しかし決定的に人間ではないもの。それが吸血鬼です。フィクションの世界では社会にまぎれて暮らすものも多々存在し、最も社会的な化け物といえるかもしれません。
そして、これが最も重要ですが、吸血鬼は人間の血を吸うことによってその人間を吸血鬼にすることができます。人間は血を吸われることによって、吸血鬼、つまり化け物になることができるのです。
そうした意味で、人間の世界と化け物の世界の境界線上に存在し、橋渡し的な機能を持つのが吸血鬼です。ダンピールなんていう半吸血鬼も存在しますね。
さて、エヴァさまがこの吸血能力を使ったのが三巻当たりにありましたね。ネギまが本格的にファンタジーなバトルアクションものに突入するのがこの巻でした。この巻で、まき絵、亜子、アキラ、裕奈が吸血鬼化し、ネギとバトったりするわけでですが、この運動部四人組は現在においても魔法バレしてない存在です。つまり、かなり人間の世界側にいるということです。
個人的には彼女らが吸血化したのは、ネギまという世界においてファンタジーの世界(化け物の世界を含む領域)と人間の世界が密接に存在してるということを示すためだったのでは?と思ってます。ここらへんはメタ視線ですが。
しかしまぁ運動部四人組は真っ暗闇の中で裸でかんだりかまれたりだったんですよね。裸で。咬むためには抱きつかざるを得ませんし、そりゃあもうくんずほぐれつだったに違いありません。ちなみにだいたいのフィクションの世界において、吸血鬼に血を吸われるとめっちゃ気持ちよくなる描写が多々ありますよね。あとは・・・わかるね?

吸血鬼に咬まれると気持ちよくなって吸血鬼化する。まぁ実際にネギまの世界において気持ちよくなってるかどうかは明言されてませんので気持ちよくなると仮定しましょう。いや、気持ちいいに違いない。気持ちよくなるんだよ!亜子タンは気持ちよくなって(ry
まそれはともかく、吸血鬼化は牙を媒介とした契約、あるいは呪いであり、吸血鬼と咬んだ人間とに感染魔術的連携が生じるということです。ちなみにこの感染魔術的連携はケイオスヘキサ三部作に登場する用語なので興味を持った人はぜひ読んでみようー。(宣伝)
さて、この”気持ちよくなって””吸血鬼化する=人間の限界を超える能力を獲得する”という図式は作中に頻繁に登場するあるものとクリソツですね。パクティオーです。
前者が支配、後者が協力という関係ではありますが、どちらもある種”普通の人間をファンタジーの世界にひきこむ”上でお手軽なものではあります。咬むだけ、というのは受け手側の意思に関わらない、まさに支配する契約ではあり、対してパクティオーはキスをするというする側される側の同意という極めて密接な関係でなければ成立しえないものであります。
で、まぁ何が言いたいかと申しますと、物語序盤に吸血鬼化とパクティオーが出てきたのは、ファンタジーの世界に効率よく読者を引き込むためだったんではないか、というさきほどのメタ視線の補強です。終わります。

ここからまたかなり仮定というか妄想の域に入っていきますよー。

吸血鬼とは非常に社会的な化け物であり、うまくやれば吸血鬼とバレることなく生活することもできます。
しかしなぜ彼らは正体がバれ、ハンターに串刺しにされたり聖水をかけられたり紫外線を照射されたりしてしまうのでしょうか?
その最大の原因は”吸血衝動”にあります。これこそが吸血鬼が吸血鬼であるための最大のファクターであり、呪詛でもあるわけです。数々の作品で人間の心(を模したものとか)を持っているために、血を吸うことに葛藤を抱く吸血鬼が描かれています。羊のうたとか、インタビュー・ウィズ・ヴァンパイアとか、ブレイドとかそうですよね。関係ないんですけど羊のうたの八重樫さんめっちゃかわいいですよね。
ちなみにまたもや語りますが、ビリー・龍はこの吸血衝動を抑えるために、大脳旧皮質に中国製内丹炉制御人造霊オートマトン<太乙>系、個体コード<マクスウェル>を憑依させちゃったりしてます。いやぁこういう単語を語ることこそSFモノの醍醐味というか趣味ですな。脳汁が沸くぜ!
まそれはともかく社会的に生きるためには、吸血鬼は己が吸血衝動と戦わなければならないのですが、エヴァさまにいたってはそんな吸血衝動がとんと見当たりません。また反則か!!まったくもってスペシャルなお方です。
しかしここでうがって考えて見ます。
エヴァさまはナギに登校地獄の呪いをかけられちゃってるわけですが(ちなみにちなみにビリー・龍においては、吸血鬼化とは神による呪いであり、その強大さによっていかなる魔術・呪いも上書きすることができないってことになってるのですがもうケイオスヘキサは語るのやめますっていうか文も終わりですハイ)と同時に麻帆良学園都市の結界によって大幅に魔力を制限されてるわけです。
ナギはエヴァに普通の10歳として生きてみろとか言われたわけですが、もしかしたら学生の立場を用意しただけでなく、学園都市の結界によって魔力だけでなく吸血衝動も制限させているのではないかと思ってたりするんですが完全に妄想ですハイ。



えー長々とお付き合いして頂きましたが、結局この一言に尽きます。エヴァさま萌えるよエヴァさま。